redfieldさんのStory 米国の語学大学の助教授から58歳での失業まで経験してわかった「自分を活かせる道」 - 従業員満足度調査・360度評価のリアルワン株式会社 - 人と組織の成長を支援 redfieldさんのStory 米国の語学大学の助教授から58歳での失業まで経験してわかった「自分を活かせる道」

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2021.09.16

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Work & Life~それぞれのStory~

COLUMN

従業員満足度調査(ES調査)

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米国の語学大学の助教授から58歳での失業まで経験してわかった「自分を活かせる道」

ニューノーマル時代に突入している今、ワークライフ(職業人生)の充実をどう考えていくべきなのか、戸惑いを隠せない20代・30代は少なくないことでしょう。

このシリーズでは、様々な職業人生を歩んできた先人たちのエピソードをお届けします。一つひとつの選択がその後の職業人生にどのように影響しているのか、今後のキャリアを考える際のヒントが見つかれば幸いです

リアルワン株式会社では、組織と従業員の活力を生み出すための「従業員満足度調査(ES調査)」を提供しています。働くことが幸せで充実した、かけがえのない経験となる社会の実現に向けて、様々な角度からの提案を行っています。

今回のゲスト:redfieldさん(47歳・男性)

【現在のお仕事】
・業種:専門学校
・職種:講師
・勤務地:沖縄県
・勤続年数:1年

【経歴】
・出版業のエディター/3年
・公立学校の教諭/15年
・自営/11年間断続的に
・米国で日本人学校教諭/2年半
・商社のセールス/2年
・米国公務員 大学助教授/3年
・専門学校講師/3年
・墓地管理業会社役員/1年
・教育サービス業 学習支援員/1年
・専門学校講師/1年

目次:
1. 【My Work & Lifeチャート】
・35~37歳:大学院に通い始めて充実した毎日
・48歳:ハイポイントはアメリカの高等教育機関で助教授として働いた日々
・50歳:人気リゾート地への移住をきっかけに生活に不協和音が……
・57歳:まさかの失業。新しい仕事を見つけるもギリギリの生活を送ることに
・忘れられない出来事は教員採用試験に合格した26歳の飛躍

2.職業人生を充実させるために
・仕事の充実度を感じられても収入がなければやっていけない
・「自分を活かせる道」をあらためて実感する今
・ミレニアル世代へのメッセージ

Work & Lifeチャートから人生を確認してみる

35~37歳:大学院に通い始めて充実した毎日

26歳で教員免許を取得し、公立高校の教員として採用されました。35歳のときに大学院に通うため夜間定時制高校に転勤し、昼間は大学院で勉強、夜は授業を受け持つという生活が始まります。土日は図書館で調べ物をするなど忙しい日々でしたが、この頃は本当に充実していたと思います。

様々な学会や研究会にも参加し、あるプロジェクトで新聞連載のチームに入れてもらいました。1カ月に1回の頻度で東京の新聞社の会議室に集まり、それぞれが持ち寄った原稿内容を検討するという形で進み、私は関西から参加していました。これが書籍化されてベストセラーになり、印税をもらうこともできました。

このプロジェクトのおかげで、人に読んでもらう文章の書き方も学ばせてもらったと思っています。その後、地元の新聞社からも個人的に声をかけてもらい、新聞連載を受け持つことになりました。

48歳:ハイポイントはアメリカの高等教育機関で助教授として働いた日々

42歳で渡米し、48歳のときにアメリカの高等教育機関で日本語担当の助教授になりました。この経験は、私にとって職業人生のハイポイントだったと思います。もともと英語力はそれほど高くはありませんでしたが、前職で商社セールスをしていたときに鍛えられていたため、英語の電話インタビューにも割とうまく答えることができました。

日本では実現できなかった高等教育機関で教えるという仕事に就けたのは、本当に夢のようでした。日本語を教えるのは初めてだったので、ぶっつけ本番という感じでしたが、初日に学生にインパクトを与えられるアドバイスができました。以前の教官のレベル感が今ひとつだったということもありますが、一気に学生の信頼を獲得でき、幸先の良いスタートとなりました。

その学校は日本風にいうと外国語大学で、日本語をまったく知らない学生が一心不乱に学んでいるという環境です。日本で高校教師をしていた時代には言うことを聞かない生徒を相手に苦労することもありましたが、ここでは仕事で語学を学ぶ必要がある学生たちが集まっていたので、教師である私の指示に逆らうような学生は一人もいません。これは、実に教師冥利に尽きることでした。

50歳:人気リゾート地への移住をきっかけに生活に不協和音が……

学校で教えるという仕事自体は素晴らしいものでしたが、教官同士の人間関係が悪く、陰湿な対応をされて窮地に追い込まれたこともありました。ある程度の蓄えもできていたので早めにリタイアしてもいいかなと思い、50歳のときに人気リゾート地への移住を決意します。しかし、これが失敗でした。

妻の父の生まれ故郷であり、「いつかは自分のルーツである土地で暮らしたい」という彼女の夢を叶えるための移住でしたが、これを境に夫婦の不協和音が起こるようになっていきます。

当初はフリーランスで翻訳や通訳をしたり、アルバイトでもしながらのんびり余生を送ろうと思っていたのですが、想定以上に生活費がかかることに気づいたのです。妻のケチさ加減がひどくなっていき、さらには細かなことで私にあたったり、子供の前でも不機嫌な態度をとったりするようになりました。

多少の人間関係さえ我慢して学校の仕事を続けていたなら、米国本土に持ち家もあったし、貧乏な生活に耐えるようなことにはならなかったはず。私自身も、後悔と不満が膨らんでいくことになってしまいました。

57歳:まさかの失業。新しい仕事を見つけるもギリギリの生活を送ることに

結局、妻とは離婚し、日本に帰国したのが52歳のこと。その後、もう一度教職につきたいという私の願いと、幹部候補を招きたいという沖縄県にある教育サービス会社の思いとが一致し、スカウトされて沖縄に来たのが57歳のときです。

しかし、1年が過ぎようとしたとき、突然、私の給料を40%カットすると通告してきたのです。会社から何の説明もなく、スカウトした社長本人からも何も説明されませんでした。将来が不安で、退職せざるを得ませんでした。労働調停は不調に終わり、弁護士に相談しても「復職する気がないなら、費用対効果が悪いので訴訟はやめたほうがいい」とアドバイスされました。

沖縄には片道切符で来たので内地に帰ることもできず、58歳で失業者になりました。その後、現職である専門学校の講師という仕事を見つけることはできましたが、給料は以前の半分です。生活をするのがギリギリという状態に追い込まれているので、少しでも収入を増やすため、現在はフリーランスの仕事もしています。

忘れられない出来事は教員採用試験に合格した26歳の飛躍

忘れられない出来事は、26歳のときに教員採用試験に合格したことです。数十倍の難関でしたが、教育大学を出たわけでもない自分が通信教育で教員免許に挑戦し、一発で合格できたのは本当に奇跡的でした。医師の従兄から「よく合格できたな」と褒められ、とても嬉しかったことを覚えています。

その年は例年よりも採用枠が少し多く、運も良かったのだと思います。それまでは友人たちがみんな就職している中で、自分はアルバイトを続けながら通信制大学で教員免許の勉強をするという生活でした。朝から晩まで動き回っている毎日の中で、一気に飛躍したことを実感できたのは本当に嬉しかったです。

職業人生を充実させるために

仕事の充実度を感じられても収入がなければやっていけない

現職の専門学校講師も、仕事そのものは充実しています。学生は真面目ですし、専門学校なので一人ひとりが目標に向かっているため熱心です。彼らが合格することを目指して、私自身もがんばって教材を作っています。もともと教材開発を研究してきたので、その成果を活かせるという点でも満足しています。

しかし、なんといっても給料が安すぎるのです。沖縄県という土地柄もありますが、60歳を前にして、悲しいほどの薄給……。前職で突然、退職に追い込まれた直後ということもあり選り好みする余裕はありませんでしたが、まさかこの年齢になって、これほどお金に苦労するとは思ってもみませんでした。仕事の充実度という面では満足していても、やはり、ある程度の収入がないとやっていけないと痛感しています。

「自分を活かせる道」をあらためて実感する今

仕事とは、「そのときに自分の前に与えられた、できること」に過ぎないと思っていました。若い頃に教員を志望し、苦労してそれを勝ち取りましたが、その後、自分の目の前にある幸福をつかもうとしてあっさりその仕事を離れてしまいました。

ところが、その後も教育現場と他の仕事を行ったり来たりしながら、今また教職に就いています。昔取った杵柄ということではないですが、結局、これ以外に自分を活かせる道はありませんでした。このことに気づくのが、遅すぎたのかもしれません。

ミレニアル世代へのメッセージ

満足は、どんな仕事でも得られます。自分がやりたい仕事を積極的に探すのもいいと思います。ただ、私の場合は仕事そのものには恵まれ、素晴らしい経験ができたといえるものの、収入や地位が伴っていません。安定を求めるならば、今の仕事のプロになるか、そのキャリアを活かせる仕事を続けるべきだと思います。

そして、もしリセットしたいのなら40歳までにしておくこと。私は最初のリセットが遅すぎたし、その後、何度もリセットしてしまっています。友人からは「人生を楽しんでいる」と言われますが、当事者は苦しいだけです。不幸な人生だったとは思いませんが、後悔はたくさんしています。

「仕事を変えることは簡単だが、元に戻ることはできない」。単純ですが、この言葉を皆さんに贈りたいです。

まとめ

教員としての経験を積みながら、職業人生において様々な分岐点を経験されてきたredfieldさん。仕事そのものに満足していても、収入が伴わないことで苦慮されているというリアルな体験を教えてくださいました。「元に戻ることはできない」というメッセージからは、多くの経験をしているからこその重みが伝わってきます。今後の職業人生の選択において、ぜひ参考にしてみてください。

※本記事に使用している画像はイメージです。

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