ポジティブ心理学とは、マーティン・セリグマン氏が提唱した「持続的な幸せ」を追求する学問です。ポジティブ心理学に関する知識は、ウェルビーイング経営や健康経営を推進する上で大いに役立ちます。本記事では、ポジティブ心理学を個人が実践する方法、企業が実践する方法、企業におけるポジティブ心理学の実践事例をご紹介します。
目次
ポジティブ心理学とマーティン・セリグマン

ポジテイブ心理学とは、個人の人生や組織・社会が、どのような状態に向かうことが望ましいか、科学的に研究している学問です。ここでは、ポジティブ心理学の基本的な概念と創設者のマーティン・セリグマン氏がポジティブ心理学の研究を開始したきっかけについてご紹介します。
ポジティブ心理学とは
ポジティブ心理学とは、1998年にペンシルバニア大学教授のマーティン・セリグマン氏によって創設された「持続的な幸せ」を追求する学問です。
持続的な幸せとは、多面的で充実した幸せな状態が続くことを意味します。ポジティブ心理学では、幸せが持続することで人生が繁栄していくと考えられています。そのため、ポジティブ心理学の中では、持続的な幸せを「フラーリッシュ(繁栄)」という言葉を用いて表現しています。
ポジティブ心理学における「幸せ」とは、単にハッピーな状態ではなく、ウェルビーイングな状態を指します。ウェルビーイングとは、身体的・精神的・社会的に良好な状態にあることを意味する概念です。簡単に言うと、心と身体が社会的にも満たされている状態です。
また、ポジティブという言葉が持つ一般的なイメージから、ポジティブ心理学は明るく陽気な気分や人生を目指すものだと思われることがあります。しかし、ポジティブ心理学は「ウェルビーイング」や「フラーリッシュ(繁栄)」を追求していることから、気分の前向きさだけではなく、人生の意味や他者との関係性などを高めることも目指しています。
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マーティン・セリグマンとポジティブ心理学の始まり
ポジティブ心理学を創設したマーティン・セリグマン氏は、アメリカ心理学会の会長を務めており、もともとうつ病やうつ状態に関する研究をしていました。
セリグマン氏の研究の中で特に有名なのが「学習性無力感」です。学習性無力感とは、人間や動物は回避不能なストレスに長期間さらされると、その状況から自発的に逃れようとしなくなるという現象です。
うつ病はネガティブな人がなるものだと考えられていましたが、1967年のセリグマン氏による学習性無力感の発見によって、ポジティブな人でもうつ病になる可能性があることが示唆されました。
そのため、1990年代以降、セリグマン氏は「うつ病患者だけでなく、もっと多くの人を幸せにしたい」と考えるようになり、ポジティブ心理学へと研究が発展していきました。
ウェルビーイングの5つの要素「PERMAモデル」

ポジティブ心理学を理解する上で欠かせないのが、ウェルビーイングを構成する5つの要素「PERMA(パーマ)モデル」です。PERMAモデルの5つの要素は、以下3点の性質を持ちます。
【ウェルビーイングの構成要素が持つ3つの性質】
- ウェルビーイングに寄与する
- そのもののよさのために多くの人が求める。単に他の要素を得るために求めるものではない
- 他の要素からは独立して、単独に定義され、測定される
出典:「ポジティブ心理学の挑戦」マーティン・セリグマン著より抜粋
要素1:Positive Emotion(ポジティブ感情)
Positive Emotion(ポジティブ感情)とは、嬉しいや楽しいなどの前向きな感情を指します。喜び、愛情、感謝、楽しみなどのポジティブ感情を持つことで、人生をより良いものにできるという考え方です。
要素2:Engagement(エンゲージメント)
Engagement(エンゲージメント)とは、何かに没頭している状態を意味します。没頭している状態とは、周りで起きている他のことをすべて忘れて集中している状態を指します。フロー状態やゾーンに入っている時の感覚と同じです。
セリグマン氏は、フロー状態におかれている最中は思考や感情は存在しないことを強調しています。「充実していた」「楽しかった」などの感情は、フロー状態を終えてから回想的に現れると言われています。
要素3:Relationships(関係性)
Relationships(関係性)とは、周囲の人とのポジテイブな関係性のことです。家族、友人、仲間などの他者との繋がりは、ポジティブに生きていく上で欠かせない要素とされています。ポジティブ心理学の研究では、他者への貢献を通じて自身も幸せになることが明らかになっています。
博報堂が慶應義塾大学の前野教授と実施した「 <地域しあわせ風土>に関する調査」の中では、所属する団体数と幸福度の関係について触れられています。この調査では、職場以外に所属する団体がない人は、職場以外に所属する団体がある人と比較して幸福度が低いことが示されています(※1)。
要素4:Meaning(意味・意義)
Meaning(意味・意義)とは「何のために生きているのか」など、人生の意味を指します。生きる意味を持っている人は、モチベーションを高く持つことができ、困難に直面しても立ち直りが早いと言われています。
「人生の意味」や「生きる意味」は大層なものに聞こえるかもしれませんが、自分はどのような価値観を持っているか、何を大切にしているか、何を求めているのかを考えると、Meaningを見出すことができるでしょう。
要素5:Achievement(達成)
Achievement(達成)とは、何かを成し遂げることを意味します。成功することもAchievementの中に含まれますが、必ずしも社会的に成功する必要はありません。
注意したい点としては、Achievementという要素が尺度としてあるからと言って、セリグマン氏が達成や勝利を得るためにウェルビーイングの方向へ人生をシフトすべきだと考えていない点です。人が抑圧から解放された時にどのような行動をとるのか記録するために、達成という要素を加えたとセリグマン氏は説明しています。
ポジティブ心理学の実践方法

ポジティブ心理学は概念を学ぶだけではなく、実践を通じてPERMAモデルの5要素を高め、持続的な幸福を増大させることに意味があります。ここでは、実際にセリグマン氏が推奨している2つのエクササイズをご紹介します。
うまくいった出来事を記録する
人間は本能的にうまくいかなかったことに注意を向けます。長い進化の過程において、生き延びるためには失敗から学び、災害や敵から身を守らなければなりませんでした。しかし、ネガティブな出来事に注意を向けすぎると不安や抑うつ気分を招く恐れがあります。
人間が本来持つ思考のクセを克服し、ポジティブ感情を増大させるためには、意識的に良かったことに注意を向ける訓練が必要です。セリグマン氏は、毎晩寝る前に今日うまくいったことを3つ書き出し、なぜうまくいったか考えるエクササイズを推奨しています。
うまくいったことは「新規案件を受注した」から「同僚から差し入れをもらった」など、なんでも構いません。それらがなぜうまくいったのかについては、「先輩からもらったアドバイスが役に立った」「クライアントのために資料の準備に時間をかけた」などを書きます。
記録はパソコンやスマートフォンでも問題ありませんが、物理的に書く方が効果的であるといわれています。
はじめのうちは、うまくいったこととその理由を書き出すことは大変かもしれません。しかし、続けていくことで落ち込むことが減り、幸せな気持ちが高まっていくことが実証実験から分かっています。
自分の特徴的な強みを新しい方法で活用する
自分の特徴的な強みを新しい方法で活用することで、その強みをより自分のものにすることができます。自分の特徴的な強みは「VIA・強みテスト」で知ることができます。
特徴的な強みには次のような特質があります。
- 当事者意識と本来感(「これが本当の、自分らしい自分だ」という感覚)がある。
- 強みを発揮している最中(特に最初のうち)に高揚感を得る
- 強みが初めて発揮される時に学習曲線の急上昇が見られる
- 強みを活用する新しい方法を見つけたいという渇望感がある
- 強みを活用することへの必然性を感じる
- 強みを活用している最中は疲労ではなく活力を得る
- 強みを中心に個人的な課題を創造して追求する
- 強みを活用している最中には、喜び、活力、熱意、さらには恍惚感を得る
出典:「ポジティブ心理学の挑戦」マーティン・セリグマン著より抜粋
このエクササイズでは、まずはVIA・強みテストを受けます。その後、上位5つの強みを使う計画を立て、実行します。
例えば、自身の強みが「自己コントロール」だった場合、普段運動しない人は仕事の後にスポーツジムに行って筋トレをしてみましょう。自身の強みが「審美眼」だった場合は、遠回りだとしても美しい景色が見える通りを選んで通勤する日を作るなど…強みを使う機会を計画し、実行します。
ポジティブ心理学を活用したマネジメント事例

ポジティブ心理学は、プライベートだけではなくビジネスシーンにおいても役立ちます。経営状況が芳しくなかった米国の医療法人では、ポジティブ心理学の実践を業務に取り入れたことで、従業員のマインドやメンタル面の向上だけではなく、患者体験の向上と業績の向上も実現しました(※2)。
【実践したこと】
- 感謝の気持ちを伝え合う練習をする
- 上司から部下への称賛機会を増やす
- ミーティングの冒頭でポジティブなことを3つ話す
- 表彰制度をつくり、実行
- チーム全体で親切な行動を意識的に増やす
【得られた効果】
- 「職場で幸福を感じる」と答えた人の割合が増加(43%→62%)
- 「職場で楽観的な見方を強く表明する」と答えた人の割合が増加(23%→40%)
- 「職場で仲間とのつながりを感じる」と答えた人の割合が増加(68%→85%)
- 「頻繁に」燃え尽きたと感じる人の割合が減少(11%→9%)
- 「職場で大きなストレス」を感じると答える人が30%減少
- ペイシェント・エクスペリエンスレート(PX)が2倍になった
- 200万ドルの営業損失から800万ドルの黒字になった
ポジティブ心理学を活用したリーダー育成

ポジティブ心理学のPERMAモデルは、人間力の高い慕われるリーダーを育てることに役立ちます。PERMAモデルの5要素をリーダーの人物像にあてはめると、以下のようになります。
- P:ポジティブ感情を持ち、感謝や愛情を相手に言葉で伝えることができる。
- E:仕事に対して真剣で、フロー状態になれる。
- R:友好的で、社内外で良好な人間関係を構築・維持できる。
- M:自身のパーパスを持っており、組織のパーパスと共鳴しながら困難な状況を乗り越えられる。
- A:チームを目標達成に向けて牽引し、本気で結果を出そうとする。
人間力とは人によって解釈が異なるものの、PERMAモデルの5要素が高い人は、多くの人が持つ「人間力の高い人」のイメージに近いと考えられます。そのため、PERMAモデルの5要素を増大させることはリーダー育成に効果的であると言えるでしょう。
ポジティブ心理学をビジネスにも取り入れよう

経済や技術の発展により、私たちはより多くの情報とより複雑な人間関係の中で生活しています。公私ともにストレスを受けやすい状況にあると感じている人は少なくありません。ポジティブ心理学を学ぶことで、日々の不安やストレスへの対処方法だけではなく、より良く生きる考え方や方法も知ることができます。
企業においては、ウェルビーイング経営や健康経営にポジティブ心理学のエッセンスを取り入れることで、従業員の幸福度やエンゲージメント向上を図れます。また、米国の医療法人の事例のように、顧客の満足度を向上させ、業績に反映させることも不可能ではありません。
まずは従業員満足度調査やエンゲージメントサーベイを通じて現状を把握し、ポジティブ心理学を取り入れてみてはいかがでしょうか?
参考文献
- ※1 前野隆司. 「実践 ポジティブ心理学」. 株式会社PHP研究所, 2018
- ※2 Shawn Achor, Michelle Gielan. “What Leading with Optimism Really Looks Like”. Harvard Business Review. June 04 2020. (Febuary 17 2020)
- マーティン・セリグマン.「ポジティブ心理学の挑戦」. 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2014