人的資本の情報開示とは?留意点や開示項目を徹底解説

上場企業や上場準備企業にとって、人的資本の情報開示は喫緊の課題です。どのような項目をどのように開示すれば良いか、悩んでいる企業は多いのではないでしょうか。本記事では、人的資本の情報開示が求められている背景を紐解きながら、開示準備における留意点、具体的な開示項目と指標などについて解説していきます。

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青山 愼
青山 愼

立命館大学経済学部卒業。早稲田大学ビジネススクールでMBAを取得。在学中に、「組織学習」や「個人の知の獲得プロセス」に関する研究を経て、リアルワン株式会社を設立。企業や組織が実施する各種サーベイ(従業員満足度調査・360度評価・エンゲージメントサーベイ等)をサポートする専門家として活動。現在は累計利用者数が100万人を超え、多くの企業や組織の成長に携わる。

人的資本とは

「人的資本」とは、ヒトが持つ能力を資本として考える言葉です。似ている言葉に「人的資源」がありますが、こちらはヒトを“消費されるコスト”として考えている言葉です。

近年、ヒトを企業価値や競争力の大きな源泉として捉える考え方が主流になっています。そして多くの成長企業は、ヒトへの投資を通じて利益を生み出しています。

そのため、投資家などのステークホルダーは、企業の成長性を分析・評価するために、これまでは非公開とされてきた人的資本の情報開示を企業に求めるようになりました。

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人的資本の情報開示が求められている背景:世界の潮流

欧州や米国は、日本に先立って人的資本の情報開示に取り組んでいます。ここでは、欧州と米国における人的資本の情報開示が加速した背景と、実際の取り組みについてご紹介します。

欧州における人的資本の情報開示

欧州連合(以下、EU)は、2014年10月に特定大規模事業・グループに対して非財務情報の開示に関する欧州議会・理事会指令を公表しました。この指令により、対象企業は2017年の会計年度以降から人的資本を含む非財務情報を開示することが義務付けられました。

2020年、EUには14.1%の男女の賃金格差がありました。この格差を解消するために、EUは2021年3月に報酬の透明性に関する新指令を発表しました。この新指令では、従業員250名以上の企業に対して、男女間の賃金格差の情報開示が義務付けられました。

イギリスも人的資本の情報開示に積極的な国として有名です。代表的な情報開示の制度として、ジェンダー・ペイギャップ・レポート制度(男女間賃金格差報告書制度)があります。この制度では、従業員250名以上の企業を対象に以下の情報開示を義務付けています。

【ジェンダー・ペイギャップ・レポートにおける情報開示義務】

  • 1年ごとに男女の賃金格差に関するレポートを報告し、公開する法的義務
    (給与データに加えて、各種補足情報、雇用主の行動計画は任意提出)
  • 政府に対してレポートで専門サイトへ提出・報告する義務
  • 男女間の賃金格差に関する情報を、雇用主の一般向けウェブサイトの目立つ場所へ掲載する義務

米国における人的資本の情報開示

2020年8月、米国証券取引所は「人的資本開示ルール」の改定を実施しました。この改定では、人的資本に関する開示内容については企業が任意に決定できるようになっています。しかし、投資家にとって重要性の高い指標(リーダーシップ、エンゲージメント、次世代リーダー開発など)については、積極的に開示する必要があるとされています。この改定により、米国では人的資本の情報開示に関する国際規格ISO30414に基づいた開示が進んできています。

また、2021年の第119回連邦議会では、従業員への投資について開示することを義務化する「人への投資開示法(Workforce Investment Disclosure Act of 2020)」の法案が提出されました。この法案では以下の情報開示を企業に求めています。

【人への投資開示法における開示項目】

  • ワークフォースの属性(フルタイム、パートタイム、派遣など)
  • ワークフォースの安定性(離職・保留率)
  • ワークフォースのダイバーシティ
  • 企業文化と権限委譲
  • 安全衛生
  • 報酬とインセンティブ
  • 採用力

人的資本の情報開示が求められている背景:日本の潮流

日本でも人的資本の情報開示は重要な課題となっています。ここでは、これまでの政策の流れについて触れていきます。

人事領域の変革と情報開示

日本ではバブル崩壊後から失われた20年を取り戻すために、第二次安倍内閣では経済政策の最重要テーマを「人事領域の変革」に設定しました。2016年には働き方改革実現会議が設置され、働き方改革、健康経営など様々な施策が実施されました。

人的資本経営重視の経済施策は菅政権でも続けられ、2021年に取りまとめられた「戦略フォローアップ」にて、「人的資本経営と情報開示」が内閣総理大臣の直轄案件となり、経済産業省と金融庁を巻き込みながら政策立案が進められるようになりました。

日本における人的資本の情報開示を加速させた出来事として、2021年のコーポレートガバナンス・コードの改定が挙げられます。この改定では以下3点について、スピード感をもって対応するよう企業に求めています。

1. 取締役会の機能発揮

補充原則4-11①
取締役会は、経営戦略に照らして自らが備えるべきスキル等を特定した上で、取締役会の全体としての知識・経験・能力のバランス、多様性及び規模に関する考え方を定め、各取締役の知識・経験・能力等を一覧化したいわゆるスキル・マトリックスをはじめ、経営環境や事業特性等に応じた適切な形で取締役の有するスキル等の組み合わせを取締役の選任に関する方針・手続と併せて開示すべきである。その際、独立社外取締役には、他社での経営経験を有する者を含めるべきである。

※出典:株式会社東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード(2021年6月版)」

2. 企業の中核人材における多様性の確保

補充原則2-4①
上場会社は、女性・外国人・中途採用者の管理職への登用等における多様性の、中核人材の登確保についての考え方と自主的かつ測定可能な目標を示すとともに、その状況を開示すべきである。また、中長期的な確保に向けた企業価値の向上に向けた人材戦略の重要性に鑑み、多様性人材育成方針と社内環境整備方針をその実施状況とすべきである。

※出典:株式会社東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード(2021年6月版)」

3. サステナビリティを巡る課題への取り組み

補充原則3-1③
上場会社は、経営戦略の開示に当たって、自社のサステナビリティについての取組みを適切に開示すべきである。また、人的資本や知的財産への投資等についても、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ分かりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである。特に、プライム市場上場会社は、気候変動に係るリスク及び収益機会が自社の事業活動や収益等に与える影響について、必要なデータの収集と分析を行い、国際的に確立された開示の枠組みであるTCFDまたはそれと同等の枠組みに基づく開示の質と量の充実を進めるべきである。

※出典:株式会社東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード(2021年6月版)」

「新しい資本主義」と開示ルールの策定

2021年、岸田内閣は「新しい資本主義」を掲げて経済政策の検討をはじめました。「新しい資本主義」では「分配なくして次の成長なし」とし、成長と分配の好循環を目指しています。

日本企業は能力開発投資が諸外国と比較して低いことが課題となっています。そのため、岸田内閣は人的資本の情報開示を起点に人への投資が増え、投資家から評価されて金融市場からお金が集まる好循環を狙っています。

人的資本の情報開示を進めるために、2022年に内閣官房は非財務情報可視化研究会を発足させ、「人的資本可視化指針」を公表しました。また、2023年3月期決算から上場企業などを対象に有価証券報告書への人的資本の情報開示が義務化されました。

日本における人的資本の情報開示ルール

経済のソフト化が進んだことで、企業価値の源泉が生産設備などのハードから、知的経営資源や企業イメージ、ブランド力、信用などのソフトに変化してきています。財務上の数字だけでは、企業の価値や成長性を判断しにくくなっていることから、無形資産である企業文化や人材なども数値化し、将来性を分析する流れが世界で広まっています。

日本でも人的資本の情報開示ルールの整備が進んでいます。ここでは、「人的資本可視化指針」と有価証券報告書への開示義務について解説します。

人的資本可視化指針とは

「人的資本可視化指針」とは、内閣官房が2022年に発表した人的資本の情報開示に関するガイドラインです。このガイドラインでは、企業がステークホルダーに期待されていること、開示において意識すべき点、推奨される開示項目などが記されています。

企業に期待されていること

人的資本の情報開示において、政府やステークホルダーは単に人的資本に関する数字の開示を求めているわけではありません。経営戦略との関連性を明確にした上で、指標だけではなく、その目標と進捗に関する記載が求められています。

経営層・中核人材に関する方針、人材育成方針、人的資本に関する社内環境整備方針などについて、自社が直面する重要なリスクと機会、長期的な業績や競争力と関連付けながら、目指すべき姿(目標)やモニタリングすべき指標を検討し、取締役・経営層レベルで密な議論を行った上で、自ら明瞭かつロジカルに説明すること。

※出典:非財務情報可視化研究会「人的資本可視化指針」

開示の際に意識すべき点

人的資本の情報開示の際、ガイドラインでは可視化の前提として以下について意識するように述べられています。

  • 経営戦略に合致する人材像の特定、人材獲得・育成する方策の実施、成果をモニタリングする指標・目標の設定など、人的資本への投資に係る明確な認識やビジョンを策定すること。
  • 人的資本への投資がどのようなアクションを生み出し、どのような結果を企業にもたらしたかを分かりやすく説明すること。
  • 自社の人材戦略について、投資家や従業員などのステークホルダーと相互理解を深め、中長期的な競争力強化や企業価値向上の実現を目指すこと。
  • 人材戦略について取締役会やCEO・CXOレベルで議論し、現場従業員の共感を得ながら浸透させること。
  • 投資家からのフィードバックを踏まえて人材戦略をさらに磨き上げ、「人材戦略に関する経営者の議論とコミットメント」→「従業員との対話」→「投資家からのフィードバック」の循環的な取り組みとして人的資本の可視化に臨むこと。

推奨される19の開示項目

人的資本可視化指針では、19の推奨開示項目を挙げています。ここでは、推奨される19の開示項目と具体的な指標例をご紹介します。指標例はISO30414などの国際規格を参考に記しています。

推奨される19の開示項目指標例
1. リーダーシップ管理職1名あたりの部下数
2. 育成従業員1名あたりの研修時間、研修費用
3. スキルプログラムの種類
4. エンゲージメント従業員満足度
5. 採用新規採用、1名あたりの採用コスト
6. 維持離職率、社内人材でのポジション充足率
7. サクセション幹部候補の準備度
8. ダイバーシティ年齢・性別構成比、リーダーの多様性
9. 非差別差別事例の発生件数
10. 育児休暇育児休暇取得率、復職率
11. 精神的健康精神疾患による休業者数
12. 身体的健康身体疾患による休業者数
13. 安全労災の発生件数、死亡者数
14. 労働慣行平均時給
15. 児童労働/強制労働人権レビューの対象となった事業の数・割合
16. 賃金の公平性男女間・正規・非正規間の賃金差異
17. 福利厚生福利厚生の種類、コスト
18. 組合との関係ストライキの発生件数
19. コンプライアンス/倫理懲戒処分、ハラスメントの種類と発生件数
「人的資本可視化指針」で推奨されている19の開示項目

>関連情報1:従業員満足度調査に関する詳細
>関連情報2:エンゲージメントサーベイに関する詳細

有価証券報告書への情報開示義務とは

2023年3月期決算以降、有価証券報告書への人的資本の情報開示が義務化されます。対象となる企業は、全市場の上場企業(約4000社)と上場準備企業(約500社)です。義務化される開示項目として、男女間賃金格差、育児休業取得率、女性管理職の比率があります。

(2)人的資本、多様性に関する開示(開示府令第二号様式 記載上の注意「(29) 従業員の状況」、「(30-2)サステナビリティに関する考え方及び取組」及び開示ガイドライン)
人材の多様性の確保を含む人材育成の方針や社内環境整備の方針及び当該方針に関する指標の内容等について、必須記載事項として、サステナビリティ情報の「記載欄」の「戦略」と「指標及び目標」において記載を求めることとします。


 また、提出会社やその連結子会社が女性活躍推進法等に基づき、「女性管理職比率」、「男性の育児休業取得率」及び「男女間賃金格差」を公表する場合には、公表するこれらの指標について、有価証券報告書等においても記載を求めることとします。


 なお、これらの指標を記載するに当たって任意で追加的な情報を記載することが可能であること、サステナビリティ記載欄の「指標及び目標」における実績値にこれらの指標の記載は省略可能であること、男女間賃金格差及び男性育児休業取得率を記載するに当たって注記すべき内容について、開示ガイドラインにおいて明確化することとします。

※出典:金融庁「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案に対するパブリックコメントの結果等について

人的資本の情報開示に取り組む際の留意点

現時点の日本においては、開示に関して細かな記載事項は規定されておらず、各企業の戦略に応じて柔軟に開示できるようになっています。それ故、機械的な開示ではなく、ストーリー性を持った開示が求められています。

人的資本の情報開示には経営層のコミットが不可欠であることは、言うまでもありません。さらに留意すべき点は、人的資本の情報開示は責任や業務が複数の部門をまたがる点です。

例えば、情報開示であれば財務や広報、経営戦略であれば経営企画、人材戦略や人材開発であれば人事が責任を持つことになるでしょう。加えて、各部門の管理職と従業員の理解と協力も必要となります。そのため、人的資本の情報開示はクロスファンクショナル(部門横断型)のチームを編成し、取り組むことが理想的であると考えられます。

人的資本の情報開示に向けて

本記事では、人的資本の情報開示に関する世界的なトレンドと日本における開示ルールについて解説しました。

人的資本の情報開示は全社的に取り組むことになります。その際、HRテクノロジーを活用することで効率的に定性的な情報を数値化でき、経営層や他部門とのスムーズな意思決定を可能とします。とくに測定が難しい従業員の本音にあたるエンゲージメントサーベイ従業員満足度調査は、信頼できるサービスを選ぶと良いでしょう。

本記事が皆さまの人的資本の情報開示に向けて、少しでもお役に立てば幸いです。

参考文献